世界遺産 タージ・マハル

ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが妃のために建てた

霊廟タージ・マハル。
旅をするとき、いつも思います。
それが出来た理由、経緯がわかれば、そのものの価値が上がって
本当の良さを感じられるのでは、と。
ではこのタージ・マハルができた背景を。
昔々、インドには300年続いたムガール王朝5代目の王であるシャー・ジャハーンという
王様がいました。王様は、3代目が城壁を築き、4代目、つまり王様の父が宮殿を建てたという、アグラ城に住んでいました。
シャー・ジャハーンはお見合いで2人の妻をめとりましたが、そのどちらも愛してはいませんでした。
ある日、アグラ城の宮殿内では、王族の為の市場が開かれていて、
そこでは宝石などが売られていました。その市場を通りかかった王様が、
ペルシャから物を売りに来た女性ムム・ターズに一目惚れ。
お見合い結婚が常識だった当時、2人が逢瀬を重ねることは国中の噂に。
しかし王様はお構いなし。2年後にはムム・ターズを3番目の妃として迎え入れたのです。
王様はいつでもムム・ターズをそばに置き、外交で旅に出かける時も
、戦場に赴く時も伴ったそう。仲睦まじい2人は19年間の結婚生活で
14人もの子宝に恵まれました。しかし14人目の出産後すぐにムム・ターズは病に倒れ、
永遠の眠りについてしまいました。
賢いムム・ターズは病に倒れたのち、王様と2つの約束をしました。
1つは再婚をしない事。2つ目はアグラ城から見えるヤムナー川のほとりに
タージ・マハルのような霊廟を建造する事。
ムム・ターズを失った後、王様はその約束どおり、タージ・マハルの建造に
すべての国力と情熱を傾けることとなるのです。
近隣諸国から優秀な建築家や技術者たちを呼び集め、お隣ラジャスターン州からは、
インド随一の白い大理石を運ばせました。
ほかにも、オニキス、コールネリア、サンゴ、ラピスラズリといった宝石を
他の国から運ばせ、2万人を動員して、22年もの歳月をかけ、
いたるところに象嵌細工を施した美しい白亜のドームが完成したのは1653年。
王様は妃の眠るその建物を直接眺めるよりも、
敷地内に張り巡らされた運河と池に映りこみ揺れるタージ・マハルを好んだそうです。

・・・では、行きましょうか。 

この車に乗って、近くまで行きます。
見えてきました!
正門の奥に白いタージ・マハル。
正門も、赤砂岩への装飾がすばらしいです。
そして、見えたのが、タージ・マハル。
このポーズでの写真撮影はお約束だそうで、、、
晴れてよかった、この色合い。
もっと濃い青空だときっともっと美しいのでしょう。
中は、土足禁止です。
靴の上にカバーをかけるか、靴を脱いで入るかしなければいけません。
白い大理石への装飾はすべて本物の宝石。
シャー・ジャハーンは水面に映る姿をより一層好んだそうですよね。
こんなふうに見えたんでしょうか。
正門から延びる水路へ映る姿もすてきです。
やはり、ここでも撮影が。絵になりますもんね。