ジシン

家の中を捜索していたら、ちょうど1995年2月15日の神戸新聞の切抜きが出てきました。なんで??ちょうどその年、私は就職活動中で、当時の自分の履歴書とともに出てきました。

そして、その年というのは・・・1月17日に阪神・淡路大震災が起きた年。
地震の当日は大学のテスト中だったので東京にいました。だから、揺れを感じてはいないのですが、テストが終わってから地元関西、兵庫県の姫路市に帰る時には、一番被害の大きい箇所を歩いていかなければいけませんでした。今の新潟もそういう状況だと思います。

新聞記事には震災の報道のあり方について書いてありました。私の仕事は報道する側にあるわけですが、被害にあっている方にどこまで踏み込んでいいのか、きちんと考えなきゃなとそのとき思ったのを、今思い出しています。
決して心を踏みにじることなく、心を少しでも穏やかにしてもらえるような番組をやることが今の自分の精一杯の仕事なのかもしれません。

そして、新聞記事とともに、私のメモ書きが出てきました。
そのメモの一番上には「避難所によって欲しいものが違う」。
当時のことが何も生かされていない。このメモを見て、そう思いました。
現在、場所によっては避難所も閉められ始めていますが、せめて阪神大震災の教訓は生かしてほしかった。痛切に思います。
もちろん、ちゃんと生かされている部分もあるんですけどね。電気のブレーカーを上げて火災が多く出たという教訓を、今回の中越地震では完璧なまでに生かされています。

まだまだ不自由な生活を強いられている方が多いと思いますが、やるしかないです!生きているんですから!
がんばろう自分!ですよ。人は一人では生きていけない。けれど、人に頼るだけでなく、自分自身が自分を支える部分もある・・・と私は思います。
でも無理しないで。自分の悲鳴をきちんと伝えることも大切です。自分をわかるのは自分。